ずーっと前の話。
キツイ批評で有名な漫画家が、自分や他の批評家達、さらに一般の人に対して、漫画のストーリーという形で
とんでもない皮肉を言った。結論が無いその物語は、肯定的なメッセージなど一つも無い悪夢のような物だった。
漫画家の名は浅利義遠(あさりよしとお)。漫画のタイトルは宇宙家族カールビンソン。
エピソードはVOL.6に掲載されているゼイ・リブの巻の中。
物語を要約すると。

 ある日コロナは、サングラスが入っている箱を見つける。
コロナはそのサングラスをかけたまま持ち帰り、台所にいるおかあさんに見せようとする
すると不思議なことに、おかあさんは生ゴミを煮ている。状況から察するに、その生ゴミが夕食なのだそうだ
そして昼ごはんの時間となり、テーブルに生ゴミが並べられる
しかし、おかあさんの注意でサングラスを外すと、今まで生ゴミに見えていた物は普通のスープに変わる。
だがもう一度サングラスをかけなおすと、スープは生ゴミに戻る。コロナは両親にサングラスを薦めるが、あまり効果がない
ここでコロナは、ある仮説をたてる
「何物かが有害な電波を飛ばしており、皆は生ゴミを御馳走と思わされている!自分が持つサングラスには、それを見破る力がある」
保安官のベルカにそれを伝え、サングラスを渡して協力を願い、原因究明にのりだす。
しばらくして犯人である虹男が現れ、演説を始める。虹男は倒され、発信機は壊される。
発信機が壊されたため、生ゴミを食べていた事に気づいた人々(虹男含む)は悲鳴をあげる・・。



 コロナはサングラスを通して、夕食として食卓にだされた生ゴミを見た。サングラスを外すと、生ゴミは御馳走に
見えるようになった。そしてもう一度サングラスをかけると、食卓の御馳走は生ゴミに戻る。この後、コロナは
「これは何物かが有害な電波を発信して生ゴミが御馳走に見える幻覚を見せている」
「そしてこのサングラスにはそれを見破る力がある」
などという仮説をたて、その仮説に従って行動を起こす。
物語の結末ではコロナがだした仮説が正しいことが照明されるのだが、ここでは逆の可能性もあった。

サングラスを通して見える映像こそが幻覚である可能性があったのである。

だがコロナは自分の持つサングラスを疑おうとせず、周囲の人を疑った。そして家を飛び出し、保安官のベルカに
サングラスを渡し、助力を求める。___結果、ベルカは自分がミミズを食べていたと思い込んでしまい、思いっきり
嘔吐する。もしコロナがサングラスを持ってベルカをたずねなかったら、ベルカは平和に昼食をとっていられたし、
この先も普通に飯を食えたはずだった。仮説が正しいにしろ正しくないにしろ、コロナがベルカにサングラスを
渡したのは、正しい行為だったのだろうか。サングラスは、正義のアイテムだったのだろうか?
 もう一つ。味音痴で有名なジョンの料理が絶賛されていた、という妙な現象が発生していた。
冒頭のコロナがサングラスを拾う場面で、ショベルマウスの人影とケンらしき人影がジョンの料理について話をする
シーンがある。ここでショベルマウスの影曰く、
「最近ジョンの料理が美味い」「嘘だと思うなら食ってみるといい」
ここでケンらしき人影は思いっきり疑っているが、コロナとベルカが映画館を訪ねた時のジョンの台詞によれば、
「みんな美味いといっていた」そうである(料理の内容はバラエティ番組に出てくるような怪しい食い物である)。
いつもはジョンの料理を食う人はかなりの少数派で(同じく危険な料理を作るコロナのおとうさんくらいだ)、
皆は恐がってにげるのが普通だった。今回の場合は彼は普段から皆と逆だったため、
反主流派オンリーの食べ物だった料理が日向にでられるようになったのである。
ここでサングラスをかけているベルカがジョンの料理を批判する。
ベルカの生ゴミだという批判に対し、ジョンは怒って「おれの料理は生ゴミじゃない」と喚く。
この場合は上記の物のとは他の者に対する皮肉だと思う。本作が発表された当時の場合、テレビゲーム関係などでは
ジョンのような人物はまだ目立っていなかったが、当時のアニメーション、外国映画、特撮関係なら妙に怪しく、
批判されるべき人はいたかもしれない。現在のゲーム関係ならカリスマ系クリエイターといった種類の人間は多くなり、
自分の作り出す物の正体に気がつかずに批判されるべき作品を作りつづけ、さらに客もそれに酔い続ける・・。
というような事は多い。クソゲー作家が「面白いでしょう?」「感動しました」ってな感じで。
 さて、今までのシーンに関する御託のほうは考えすぎじゃないかと指摘されそうな雰囲気がするが、物語の中で
最もストレートに皮肉を言っているシーンがある。事件の犯人である虹男の演説場面がそうだ。
引用する。


1コマ目。虹男、肩から上。
虹男「最初は私も悪事のつもりで始めたことだが 実際にはどうだろう・・・。」

2コマ目。たとえのシーン。暗い場所でコロナのおかあさんが大きな蛙を嬉しそうに食べている。
虹男「みんなそろっておいしいと思っていれば それは生ゴミではなく
おいしいごちそうではないのかな?」

3コマ目。虹男、腰から上。腰に左手を当てている。
虹男「それに私がこのようなことをしなくても世の中似たようなことだらけだ」
虹男「事実
○○○○○○○○○○のクソゲームをありがたがったり
OVAなどのクソアニメをよろこんで買うバカ者どもがゴロゴロしているではないか」

4コマ目。ベルカの顔。目線が下を向いている。
虹男「彼らを目ざめさせるのが正しいことなのかな?」
ベルカ「・・・・・」

5コマ目。虹男、腹部の辺りから上。両腕を広げている。
虹男「みんな幸せなのだよ」
虹男「だまされたまま眠り続けるのが一番いいことだとは思わないかね?
真実を知るのは辛いことだよ」

6コマ目。虹男の顔。正面から光が射している描写。
虹男「そうだろう?」


直後、虹男はベルカの手で倒され、「ベルカ姉ちゃん、頭弱いから難しい事を言ってもわからないのに」とコロナ。
発信機は破壊され、あとは簡単なギャグシーンでゼイ・リブの巻は終了し、皮肉は他のエピソードに続く。
5コマ目の虹男の台詞には、物語中では結局反論が出されずに終わる。
そしてこの物語は現実に続く。

今でもコロナは、サングラスの向こうに見える映像の事を誰かに伝え、そしてもう一つのサングラスを手渡している。
新しくサングラスをかけた人物は、サングラスの向こうの映像を疑うことはなく「発信機」の存在を信じる事になる。
そして、コロナと同じことを始める。なかには自分を正義の味方だと思っている奴もいるかもしれない。
もしかしたら、そんな発信機はどこかにあるかもしれない。しかしだからといって、それを知る必要はあったのだろうか。
その存在を知るのは、正しい事だったのだろうか。
幸せなことだったのだろうか?






僕の意見では
サングラスかけて生ゴミ食ってる連中に対しては、事実は言わないほうが正しいと思う
”真実”という素敵な幻覚を見ている彼等は、誰よりも幸せだ
起こすと可哀想じゃないか

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